LAMY specs vol.5

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今回のLAMY specsはラミー ダイアログ ウルシにフォーカスした特別版で、12ページには動画コンテンツが掲載されています。この動画は、LAMY specsアプリをダウンロードまたはアプリを最新バージョンにアップデートしてご覧いただけます。

 

 

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一本の万年筆、二人の漆芸家、そして四季:「ラミー ダイアログ ウルシ」

 

驚くべき共生

 

異なる世界が「ラミー ダイアログ ウルシ」でひとつになりました。伝統と現代性。アジアとヨーロッパ。合理的なデザインと異色の素材―漆。

 

デザイナーとのコラボレーションは、ラミーに長く息づく伝統です。しかし、アーティストとのコラボレーションはこれまでありませんでした。世界に名を知られた漆芸家二人が生み出す全く新しい表面感により、ラミーの熟達した創作と卓越した技術を代表するエディションが完成しました。これまでない筆記具が、「ラミー ダイアログ3」に登場します。

 

東京の小椋範彦とブレーメンのマンフレッド・シュミッドが新たに手を加え、キャップレス万年筆に四季の姿を映し出しました。このエディションが表現する春夏秋冬は、普遍的な、時を超越したテーマです。季節は生命の不変の循環――創造と崩壊、有限と再生――を象徴します。

 

異なる背景をもつ二人の漆芸家の競演が、このエディションに独特な魅力をもたらします。日本人アーティストの小椋範彦が、松田権六のような大家の作品に見られる古典的な漆の手法に重点を置いているのに対し、ドイツのアーティストであるマンフレッド・シュミッドは、ヨーロッパからの視点で漆芸に取り組んでいます。

 

二人に共通するのは、ラミーのために独自の加工技術を生み出し、それをラミーダイアログ3 万年筆にはじめて応用したこと。これは異なる文化と視点の刺激的な出会いであり、ラミーと漆という塗料とをまったく新しい観点で表現するものです。

 

漆がどのようにして、これほどまでに多彩な表情を持つ特別なものとなったのかを理解するために、漆芸の世界を探訪してみるのは大いに価値あることです。そこには独自のルールがあり、それらのルールは現代人――特に「ホモ・デジタリス(デジタル時代の人類)」に真っ向から挑むものです。漆を扱うには並外れた忍耐力と、素材のリズムに従うことを受け入れる心構えが必要です。あらゆることが可能で思いのままになるように思える時代にあって、それは簡単なことではありません。

 

今回のLAMY specs特別版ではこの特別なエディションに注目し、読者のみなさんを漆の世界に――そして漆芸家マンフレッド・シュミッドのスタジオにご案内します。シュミッドが自身の仕事に対する深い思いを語ります。

 

 


魔法のように時間を表現

 

四モデルで構成されるユニークなラミー ダイアログ ウルシには、東アジアに伝わる漆の技法の魅力がぎゅっとつめ込まれています。

 

 

ある時過去のものとなった繊細な翅(はね)をもつ昆虫。長い間忘れられていた歴史の一幕。時がそこに留まっているかのよう。

琥珀は化石化した樹脂から生まれた黄金色の宝石で、有史以前の動植物をそのまま含んでいることもあります。琥珀には、有史前の時代を振り返る窓のような、特別な魅力があるのです。

 

漆も数千年も前から続く東アジアの工芸として、同じような不思議な力を有しています。日本の神話では、一度固まるとほとんど壊れなくなることから、漆は不死を連想させる存在です。そこには時が流れると同時に、時が留まってもいるようにも感じられます。ごく薄く塗っては磨き上げるという工程を何度も繰り返して作られる幾重もの半透明の層には奥行きが感じられ、オーラを放つような比類ない美しさがあります。

 

「漆は驚くほどに魅力的な塗料です。そこで、この漆で万年筆を包み込むというアイデアが浮かびました」そう語るのは、ラミーでブランドおよび製品戦略を担当するマルコ・アッへンバッハです。その結果として生まれたのは単なる一本の万年筆ではなく、四部構成のラミー ダイアログ ウルシでした。わずか33セットのみが販売されるこの限定モデルは、ドイツのマンフレッド・シュミッドと日本の小椋範彦という二人の漆芸家による手作りです。一セットは、一本一本異なる季節を表現したラミー ダイアログ3 万年筆4本で構成されています。

 

 

: 伝統と現代性

 

日本語の「漆」は、材料とそれを加工して塗る技法の両方を意味します。漆塗りは東アジア、なかでも日本、中国、韓国で数千年前から伝わる伝統様式で、今日では文化的遺産という形で昔ながらの手法を保っています。

 

漆器がヨーロッパにはじめて届いたのは400年ほど前でした。この塗料の魅力と、輝きの下の無限の深みに惹きつけられたヨーロッパの人々は、独自の技法を発達させました。日本のものと同じ漆の塗料がヨーロッパに伝わったのは20世紀のはじめのことですが、その品質は現在も変化せず、さまざまな試みがなされましたが同じものを複製することはできていません。漆工芸は1920年代から、バルセロナのエスコラ・マサナ美術学校やパリの芸術アカデミーで教えられてきました。

 

伝統的に漆によって洗練されてきたものは、椀、皿、箸、桶のような日用品です。通常は木、竹、金属に塗布されますが、布や皮革にも塗ることができます。化学合成された塗料と異なり、漆には乾いた後でも柔軟性があります。漆器の製作には長い時間がかかることがあり、ときには何年、何世代かにわたる場合もあります。何層もの下地の上にごく薄い漆の層を幾重にも塗り重ねる必要があり、塗る度に時間をかけて乾燥させ、固くしてから磨きます。乾燥にかかる時間を正確に予想することは困難です。乾く速さは素材によって異なるためです。

 

製作に膨大な時間がかかることが、漆器が貴重なものとされる理由の1つです。その他の理由としては、漆の成分の抽出が難しいこと、すべての工程が手作業でしか進められないこともあげられます。漆の原料は東アジアに生息する漆の木の樹液で、樹齢10年ほどの木の樹皮から抽出されます。1シーズンに一本の木から採取できる粘り気のある樹液は、ほんの少量です。採取が終わった木は伐採し、次に採取できるのは新しい木が育った10年後からです。自然の状態の漆は琥珀色ですが、不純物を取り除き、通常は赤や黒を出すために顔料が加えられます。

 

高く評価される漆器の丈夫さは、漆の自然な特性によるものです。取り扱うには豊富な経験と繊細さが必要で、それでもなお予測のつかない部分があります。果たして人間が漆を手なづけることはできるのでしょうか?漆芸家なら、それは逆だと言うでしょう。

 

 

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漆芸のマンフレッド・シュミッドと小椋範彦が手がけたラミー ダイアログ ウルシは、世界限定33セット。名高い二人の巨匠が手作りしています。

 

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新しい解釈を受けた漆―2人の巨匠が本エディションのために開発した漆芸技法を一部採用しています。

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1本の万年筆の製作にあたり、数多くの製作工程の間には、漆を塗布し乾燥させ、磨きをかけるという工程を重ね、漆の層は12層にも及びます。

 

 

[引用]

 

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日本の神話では、漆は不滅性の象徴とされ崇められてきました。

 

 

 

マンフレッド・シュミッドへのインタビュー

 

「私が最初に惹きつけられたのは、黒漆でした。
黒漆は、世界中で生み出されるあらゆる黒の中で最も深い黒です。」

 

マンフレッド・シュミッドは、漆という芸術を極めたヨーロッパで数少ない漆芸家のひとりです。ラミー ダイアログ3漆エディションに含まれる四季のうち、春、秋、冬の3つの季節を手がけたシュミッドを、ブレーメンにあるご本人のスタジオに訪ねます。

 

シュミッドさん、漆塗りの技術は東アジアの文化に根差し、その価値観と伝統に深く結びついたものですよね。ドイツの「北部地方」出身のあなたが、漆を手掛けるようになった経緯を教えていただけますか?

マンフレッド・シュミッド(以下MS): 日本人は、自分から漆に向かわなければ、漆のほうからやってくる、と言います。私は、実は木製家具職人で、家具をデザインして製作します。1998年にバルセロナに移り住み、たまたまそこの大学で日本の漆塗りを学べることを知りました。最初は仕事にするつもりはありませんでした。もしどれほど努力が必要で、黒漆で作品を完成させるのに、大きさと技法によっては1年から2年もかかると前もって知っていたら、きっと一目散に逃げていたでしょうね!私は、本当はとてもせっかちな人間なんですよ。

 

けれども一目散に逃げだすどころか、そのまったく逆でした。それ以来、20年以上にわたって漆の作品制作に専念していらっしゃいます。漆の何がそれほど魅力的なのですか?

 

MS: 私が最初に惹きつけられたのは、黒漆でした。黒漆は、世界中で生み出されるあらゆる黒の中で、最も深い黒をしています。それに、顔料によって生み出すのではない唯一の黒です。漆は半透明で、何層も重ねれば重ねるほど光の屈折が大きくなり、黒の深みが増します。表面から奥を覗き込んでいるように感じます。これは、特に漆と初めて出会った者には実に魅力的に感じられます。多くの人は、最初はもどかしく感じるでしょう。ガラスではないし陶磁器でもない。それならいったい何なのかと。けれども、光が少ないほどいっそう増す深みに、すぐに惹きつけられるようになります。漆塗りは実際、日本人が言うように、闇が幾重にも堆積した色をしているのです。

 

漆は単なる工芸の一形態ではありません。漆芸家になるには人間として求められることが多くあります。漆を使って作業するには、しっかりとした規律正しさと大きな忍耐力が求められますね。本当はせっかちな人間だとおっしゃいましたが、その点をどのように切り抜けていますか?

 

MS: 私の場合は禅を取り入れることで、だんだん自分のことを切り離して考えるようになりました。人が漆を支配することはできません。驚くほどに個性的な材料なので、漆の声にしばらく耳を傾ける必要があります。一方で、何らかの合理的な論理を確立する必要があります。 音楽家が最初はしっかりと、合理的にテクニックを学習するのと同じです。けれどもその後、音楽家がすばらしい演奏をしたいと思うなら、ある時点でテクニックを一度すっかり忘れなければなりませんよね。漆もそれと同じです。最後の層までたどり着いたときに「よし、これでいい」と言えば言うほど、そうではなく思えてきます。最後の層を塗り終え、満足できないまま家に帰ることもあります。それで翌日になって仕事場に戻って磨きはじめると、実にすばらしい、これでいい、とわかったりもします。逆のこともあります。でもそれは、瞑想のような状態に入ることと深く関係するんですよ。

 

では、ある程度は成り行きにまかせなければならないのですか?

 

MS: そうですね、そう言えるでしょう。漆を塗るとき、肉眼では層が均一かどうかはわかりません。感覚を磨き、何度も何度も表面で刷毛を往復させる必要があります。するとある時点で、直観でわかるようになります。チェリストが楽器を見ないでもEの音を出せるのと同じですね ― ただ練習、練習、練習あるのみです。ある時点で、それが習性のようになりますよ。

 

磨きも同じです。どこまでできたのかを耳で聞き、手で感じます。自分で思い描く表面を探り当てるようなものです。材料と深く共鳴するのです――けれども、うまく行かなかったり乾かなかったりして、その原因がわからずイライラしたりもします。そんなことが2日も3日も、ときには1週間続くこともあります。その時その時で、わからない理由があるのです。でも、それも魅力のひとつです。

 

シュミッドさんは漆の技法をバルセロナで学び、完成させましたね。どれぐらい伝統をしっかりと守り、またどのような部分で伝統から離れましたか?

 

MS: 私にとって、伝統は技術的な面で役に立っています。つまり、漆器の製作技術です。この技術は数千年にわたって実証されており、改良すべき点はありません。私が変えてきたのは、漆の加工方法です。たとえば磨きに、昔のように灰は使用しません。代わりに湿らせたサンドペーパーを用います。それから混ぜ物をするときには、曲がった木のヘラを使わずに、自分の指を使います。指は世界最高のヘラですよ!

 

基本的には、作品をデザインするときを含めて、最初から日本の伝統を取り込もうとするという方法は避けてきました。私はヨーロッパ人ですから、日本美術をコピーしようとしても、安っぽいコピーにしかならないでしょう。私はいつも、どのような作品が漆をとびきり引き立たせるかを考えています。私にとって大切なのは、50年、100年を経てもまだ美しいとみなされるフォルムを見つけることです。私の目標は、漆とフォルムが互いに完璧な調和を生み出すことにあります。漆の輝きと反射は丸い形状でとりわけ引き立つので、その意味で、ラミーダイアログ3は完璧でした。

ラミー ダイアログ3で最も難しかったのは、どのような点ですか?

MS: 最も難しかったのは、古い考え方から本当の意味で抜け出すことでした。漆塗りの万年筆と聞けば、他の人が作ったもののイメージが何百と思い浮かびます―― ですから最大の課題は、私の頭の中からそのようなイメージを一掃すること、それらをすべて忘れることでした。

 

それから、4週間ものあいだ何もせずに放っておいて、何も思いつけないのではないかと考えていたら、とうとう思い浮かんだのです。実はちょうどその時、適当なデザイン用のブランク模型 [編集者による注: 万年筆本体のブランク模型] がありませんでした – 手元のブランク模型には1本線が刻まれていて、使えませんでした。そこで全体を彫り込んで線を消し、万年筆の長さに沿ってブラシをかけました。どうやって横方向にも磨きをかけるようになったかは、はっきりわかりません……直観だったのでしょう。そのようなことが思いつくかどうか、誰にもわかりません。漆の神様が、またしても幸運をもたらしてくれたのです。最初のモデル「秋」が生まれたのは、そのような経緯からです。

 

 

「秋」には古典的な黒漆を用いず、透明な漆を用いています。このアイデアはどのように思いついたのですか?

 

MS: ラミーから連絡をもらったとき、ちょうど黒漆の仕事を終えたところでした。もう20年も「黒を見続けてきた」状態だったので、何か新しいものを探し、自分の人生に色彩をもたらしたいと考えたのです。いわゆる透明漆には、前から興味がありました。「いわゆる」と言ったのは、これは半透明ですが、色がないわけではないからです。正しく用いれば琥珀のような色になるのですが、その色に、私は自分の子供時代をイメージします。そのころわが家にはブラインドがあって、街頭がともるとその光が私の部屋に差し込んで、あらゆるものが素敵な琥珀色に変わったのです。

 

透明漆は実際には日本では使われておらず、少なくともそれだけを表面に塗ることはありません。シール材のような使われ方をしているだけです。私はこの漆を、すでに磨きあげた万年筆の上に重ねるように塗ることにしました。効果はすばらしいものでした。素材本来の質感が隠されることなく、実際には漆の下の深いところから光を発しているように見えます。

 

ラミーとのコラボレーションがはじまったのを契機に、古典的な黒漆から離れたのですね。
ラミー ダイアログ3の製作に、シュミッドさんの漆に対する見方を変えるような何かがあったのですか?

 

MS: はい。まったくその通りです。私は何十年も黒漆に取り組んだことで、完全なものを見極める目を養ってきました。でも、ラミーとのコラボレーションとアッヘンバッハ氏とのやりとりを通して、私がときに失敗とみなしているものを、彼が美しさと理解していることに気づいたのです。私が実際に進みたかったのはそのような道です――黒漆から離れ、もっと心を揺さぶられるような方向に行きたいと思いました。人が見方を変えてより広い視点取り戻すには、ときには長くかかることがあります――禅で言うところの 、初心を巡らすということでしょう。

 

おっしゃる通り、「秋」は変化によって、または直観のようなものから生まれました。「春」と「冬」の背景には、どのようなインスピレーションがありましたか?

 

MS: 「春」と「冬」も偶然の思いつきです。私は前に申し上げた「秋」のテクニックを用いて、大きなステンレス製の鉢に取り組んでいました。そしてまた完璧ということにとらわれていたのです。すでに最初の層を14回も塗り直し、均一ではないからとまた拭い去っていました。もう2カ月か3カ月もこの鉢のことで自分自身を苦しめ、絶望していたので、鉢を窓から放り投げれば気が楽になるのにと思ったほどです。

 

最後の層をもう一度拭き取りたいという段階まで来て布をアルコールにした浸したとき、アルコールが何滴か鉢の中にこぼれてしまいました。でもそれを見たとき、わあ、素晴らしいぞ、と思ったのです。そこで万年筆を手に取って、すぐに試作をはじめました。

 

 

正確には、どのような効果が生まれたのですか?

MS: まずブラシをアルコールに浸し、それからアルコールを振り落としました。そうすると万年筆に小さな滴がたくさん飛び散ります。これが漆の表面張力を破って特別な構造を生み出すので、それが「春」と「冬」モデルの特徴になっています。出来上がりは毎回異なります。まったく同じ万年筆を再び作ることは絶対にできません――1本ずつが世界でただ1つのものです。

 

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[コメント]

 

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“万年筆に何層にも重ねたとしても、すべてのレイヤーを完璧に作り上げる。"

 

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“漆をコントロールしようと思ってはいけない。非常に表情豊かな素材である漆に私たちが耳を傾けなくてはいけない。”

 

  1. 13

“「秋」モデルは偶然にアイディアが湧いてきました。まさに直観と言えるでしょう。”

 

 

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ブレーメンのスタジオでのマンフレッド・シュミッド

 

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伝統的には、漆は漆黒と赤色だけと思われてきました。「秋」モデルにおいてマンフレッド・シュミッドが選んだのは、何層にも重ねるとアンバーのような輝きを持つ透漆(すきうるし)でした。

 

  1. 10

漆をペンに塗布する際に用いられる筆も、特別なものです。人毛から作られた筆は特になめらかな表面を生み出します。

 

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マンフレッド・シュミッドは漆芸において独特の技法を開発し、「春」「冬」モデルに用いています。黒漆の上に細筆でアルコールを塗布することで生まれる偶発的なパターンが構造的な複雑さを生みます。

 

  1. 13 左図

漆を塗布したペンは、所定の位置に固定し高湿度の部屋の中で乾燥させます。

 

  1. 13 右図

マンフレッド・シュミッドの手で縦と横に磨いていくと、ステンレススチールのペンのボディが輝きを放ちます。

 

 

 

 

 

 

マンフレッド・シュミッド ― ブレーメン(ドイツ)

 

熟練の家具職人だったマンフレッド・シュミッドが漆芸を学ぶことに決めたとき、それが人生を変える天職になるとは思っていませんでした。東アジアの漆塗りへの傾倒は、好奇心に満ちた決断というよりは、偶然の産物と言ったほうがいいかもしれません。「私が漆に近づいたのではなく、漆のほうが私のところにやってきました。」

 

マンフレッド・シュミッドは1998年から2004年までバルセロナのエスコラ・マサナ美術学校などで漆芸を学び、技術を完成させました。2004年に故郷のブレーメンに戻り、漆の技術を高め続けています。20年にわたって黒漆に真剣に取り組んだのち、現在はおもに素材の質感を活かすための新たな、一部は実験的な試みを続けています。

 

アルフレッド・シュミッドの芸術的作品は現在、ドレスデン美術館、ハンブルク美術工芸博物館、ライプツィヒのグラッシィ工芸美術館、ミュンスターの漆芸美術館をはじめとする、多数の公共コレクションに展示されています。

 

 

小椋範彦 ― 東京(日本)

 

「その表面は、さまざまな方向に向く水滴の流れを思わせる。」

 

漆を用いる緻密で優美な作品は、人間のイマジネーションを超越することも少なくありません。そのことは、小椋範彦が金蒔絵と呼ばれる技法を用いてデザインした「夏」モデルの万年筆で、印象的に実証されました。漆を塗った表面には、直径わずか0.03 mmという微細な金粉が蒔き散らしたります。それらの金粉がちょうど半分の大きさになるまで、炭で表面を磨きます。これは、漆芸の大家である小椋のすばらしい芸術性を端的に示すものです。わずかに大きく粗い金粉の層の上に金粉を撒き、磨くことで、金粉の線が生み出されます。こうした工程を経て作られた幾筋もの線は、万年筆を毎日使うことで人の肌に触れて「磨かれ」、さらに輝きを増します。この万年筆は常に変化し続けるのです。

 

 

 

キャプション上:

日本の漆芸家、小椋範彦は、ラミー ダイアログ 漆「夏」モデルの表面をデザインしました。

 

キャプション下:

金色に輝く夏の万年筆を生み出した小椋氏のインスピレーションは、窓ガラスに降り注ぐ雨から得られたものです。

 

 

 

小椋範彦は東京芸術大学の入学試験に備えて勉強しているとき、はじめて漆芸に出会いました。ある展覧会の会場で、1955年に日本の重要無形文化財(人間国宝)に指定された漆芸の大家、松田権六の作品を目にしたのです。小椋はたちまち魅了されました。

 

大学を優等で卒業すると、松田権六のもとで学んだことのある田口善国に師事し、田口が世を去るまでの13年間をその助手として過ごしました。漆は小椋範彦の一生の仕事となり、現在に至るまで漆芸家として生きるとともに、東京芸術大学の教授として漆芸研究室を率いています。

 

小椋範彦の漆作品は数多くの有名な賞を受賞し、2011年には紫綬褒章も受賞しました。また彼の作品はさまざまな国際的展覧会に出品され、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、東京国立博物館、アルゼンチン近代美術館をはじめとした数々の美術館のコレクションにもなっています。

 

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