LAMY specs vol.3

あらゆるものを変えるアイデア

機能的なものは美しい ― 「形態は機能に従う」。これは1919年にワイマールで創設されたバウハウスのモットーです。

バウハウスが存続したのはわずか14年間でしたが、建築、芸術、デザインの分野で、その後の世代に変わらぬ影響を与え続けています。来年迎える創設100周年を前に、本号ではこの伝説的なデザイン学校について、そして現代まで続くそのアイデアの継承について、見ていきたいと思います。

ラミーのデザイン哲学も、原点はバウハウスにあります。バウハウスの理念は1966年、LAMY 2000によってラミーの製品に取り入れられました。そしてそれ以降、ラミーの筆記具すべてのスタイルを方向づけてきました。機能が形態を決定するという信念に基づくスタイルは、必然的に、無駄な装飾をすべてそぎ落とした、すっきりとしたものとなります。

その代表的な例が、ラミー ダイアログ 3 です(表紙写真)。外見からは、内部にどれだけ複雑な技術が詰まっているかを見てとることはできません。このキャップレス万年筆は、軽く捻るだけでペン先とクリップを収納することができます。今日でもユニークな技術的アイデアです。どのように動くかを知るには7ページをご覧ください。LAMY specsアプリを使って、思わず目を見張るようなラミー ダイアログ 3内部の動きを詳しく見ていただけます。

「私のこれまでの人生で最も美しい仕事です」―ラミーとのコラボレーションについてそう語るのは、ラミー ダイアログ 3をデザインし、ポケットに収まるボールペン、ラミー ピコの開発も手掛けたフランコ・クリヴィオです。9ページのインタビューでは、フリーマーケットでの発見からどんなインスピレーションを得たかについて語っています。

インスピレーションあふれる今号を、どうぞお楽しみください!

 

職人の手から:
ラミーのものづくり

人間の手は、進化によってもたらされた画期的な器官です。その正確さと敏感さは人ならではのものです。だからこそ、手は筆記具の製造において欠かせない存在なのです。

ピアニストの指は88鍵から極めて多彩な音色を引き出すことができますが、それは高度な技能と才能のおかげだけではありません。神経細胞と受容器官の複雑なネットワークのおかげでもあります。私たちの手、とりわけ敏感な指先は、どんな微細な衝撃――圧力、摩擦、振動――も感じとり、それらを数ミリ秒という短い時間で脳に送っています。

 私たちの手は触れ、感じ――学びます。手は、たいていの機械よりもはるかに進んでいます。機械は一連の作業を正確に行いますが、いつも同じようにしかできません。また、手には感覚印象を適切に補ってくれる仲間がいます。それは目です。

ラミーの工場には最新の機械設備が整っているにもかかわらず、生産工程で手作業に常に重きが置かれているのはそのためです。手と目は、経験と細かい気配りが必要な部分を担っています。表面の研磨、微細な部品の組み立て、品質管理など、繊細さが求められる作業が活躍の場です。

多くの職人技を必要とするモデルの例として、ラミー インポリウム、ラミー ステュディオ、ラミー ダイアログ 3、ラミー 2000が挙げられます。ラミーの生産と物流の責任者であるマネージングディレクターのピーター・ウチュは、次のように述べています。「私たちの工場にはそれぞれの製品について特別な設備が整ったワークステーションがあり、そこで作業するのはほんの数人の、特別な研修を受けた社員に限られます」。その様子は今も昔も変わりません。「例えば、ラミー 2000用のワークステーションはもう50年以上使われており、基本的に変更されることはありません」

ラミー 2000ならではのマットな表面感は、研磨と磨きの繰り返しによって生まれます。この筆記具の生産工程には、研磨ベルトを使った手作業があります。「完全に均一に仕上げるのは特別に難しい仕事です」と、ウチュは話します。なかでも、硬い樹脂(マクロロン)のボディとステンレスのグリップとの継ぎ目は難題です。「この作業には熟達した繊細な感覚と経験豊かな目が必要で、それは数多くの実践を経てのみ身に着けることができるものです」

ラミー ダイアログ 3万年筆の製造も、同じように難しい作業を伴います。この万年筆には、キャップではなく捻ることによってペン先を収納する機構が採用されています。もう一度捻ると、ペン先が外に出てくると同時にキャップ上のクリップがボディ内に沈み込みます。この一連の精密な動きを確実に実現するには、職人技が不可欠です。ラミー ダイアログ 3のペン先システムは一本一本調整しながら取り付けられており、そうすることがペン先とクリップの正確な連動を可能にしているのです。

 職人技は、ペン先の製造でも重要な役割を果たします。金のペン先の場合はなおさらです。ピーター・ウチュは次のように言います。「単純な原則があるのです。私たちの感覚に密接に、直接的に働きかける構成部品の場合、その品質を評価できるのは人間だけです」

 ペン先の場合はこれが顕著で、一本一本の書き心地に最も大きな影響を与えます。「万年筆の筆記検査は、必ず人間の手で行います。その品質の評価はさまざまな感覚印象の相互作用によって決まるからです」。ペン先が紙の上を滑らかに動くか、インクの出方は均一か、書いた文字は鮮明で、途切れや滲みはないか。「この工程を機械にまかせることは考えられません」。21世紀になってもラミーが人間の感覚―目、そして手の特別な機能に頼っているのは、このような理由があるからです。

 

フランコ・クリヴィオとの対話

「私はデザインをする前に、最も重要な部品をイメージします。そうすると気持ちが変化して、たちまち物を違う視点から見るようになり、より細かい部分までが視野にはいってきます」

プロダクトデザイナーのフランコ・クリヴィオには、デザインしている対象に近づく独自の方法があります。それは、念入りに見ることからはじまります。そして、どういうものが実際にどのように機能しているかを理解します」

トマス・ワグナー:フランコ・クリヴィオさんは、長年にわたってラミーと仕事をしてきましたね。2001年にはラミー ピコを、2009年にはラミー ダイアログ 3をデザインしました。どちらの筆記具も技術的に複雑なものですが、使い方は簡単です。まずラミー ピコについて伺います。ポケットに収まるボールペンをデザインするというアイデアは、どのように浮かんだのですか?

フランコ・クリヴィオ:当時、マンフレート・ラミー博士は私にこう言いました。「クリヴィオ、好きなことをしていいよ――でも万年筆は作らないでほしい」。そこでスケッチ用のペンをデザインすることを思いつき、まずは自分に問いかけました。私は筆記具を実際にはどんなふうに使っているだろうか、と。筆記具にはどれも、ジャケットやシャツに挿すための何らかのクリップがついています。でも、実は問題がありました。私はいつもペンをポケットの中に入れてしまうのですが、そうするといつも同じことが起きます。ポケットの中に突き刺さって、面倒なことになるのです。ジャケットのサイドポケットにしまっておいたペンを取り出そうとすると、ポケットの裏地まで一緒についてきます。それに気づいたとき、ペンの長さをできるだけ短くすることを思いつきました。

前例はあったのですか?

はい、フリーマーケットで見つけたものです。ペン先収納式の小さなペンが目に入り、よく見ると、一か所を引っぱると前の部分が飛び出して全長が伸びることがわかりました。1900年、1910年ごろには多く見られたスタイルです。このフリーマーケットのペンが、ふと心に浮かびました。そんなものがあったことも、家のどこかの箱に入っていることも、すっかり忘れていたのですが。そこで、私はそうしたスタイルのペンを提案しました。このコンセプトのプレゼンテーションをしたときには、とても驚かれたものです。誰もが唖然としていましたね。ラミーでは、そうしたものを考えたことがありませんでした。

ラミー ピコがキャップもクリップも必要としないのは、テクノロジーがペンと完全に一体化しているからですね?

ピコにはどちらも必要ありません。ノックするだけで、すぐに書きはじめることができます。これは、エンジニアにとってはとてつもない難題でした。最初のプロトタイプではペンを両手で持って引っ張り、使用後は押して元に戻さなければなりませんでした。それを見たときには、「別の方法がないなら、この商品はなかったことにしよう。これでは面白みがなくなってしまう」と言いました。でも最終的に、エンジニアたちはピコを片手で扱えるようにしてくれました。

筆記具は道具ですから、機能的でなければなりません。美しさについては、どのようにお考えですか?

 状況によって変わります。ペースメーカーなら、いつも正常に動くことを求めます。もしかしたらグッチが作ったペースメーカーがもうすぐお目見えするかもしれませんが、私なら買いません。シーメンス製のものがいいですね。グッチ製のペースメーカーだって、中身はシーメンスの技術を採用しているでしょうから。冗談はさておき、信じられないくらい美しいものがあります。そうしたものには、機能性が最適な方法で取り入れられていることがわかります。オリンピックで使われている競技用ボートやアーチェリー、槍投げの槍を思い浮かべてください。そこに備わる美は驚くべきものです。それらは生物学、自然へと私たちを誘います。鳥が美学的に完璧なのは、飛べなければならないからです。

機能性だけが商品を美しくするのですか?

いいえ。私の考えでは、ピコのような商品は機能が形に表れています。別のデザイナーなら、また別のデザインになったでしょう。私の場合は、「そうか!」というひらめきが特に大切で、それは機能に導かれて生じます。ペン先を出したときに見えるプラスチックの軸筒の表面が滑らかではない理由を知っていますか? よく見ると、曲折模様がついているんですよ。

うまくガイドするようにですか?

いいえ、ガイドは必要ありません。デザイナーの経験が生きているのです。もしも軸筒の表面が滑らかだと、その場所にゴミが集まり、長く使っているうちに軸筒は傷だらけになってしまいます。出したり引っ込めたりがしょっちゅう繰り返されるからです。細かい溝を彫ることで、それを防いでいます。そして軸筒にゴミをはじかせるため、曲折模様は先端では艶消し、奥では光沢仕上げになっています。そんなことをできるのは、ラミーだからこそです。

精密なソリューションをいつも楽しんでいらっしゃるのですか?

はい。私はこれまでに家具をデザインしたことはありません。もし家具のデザイナーが思い通りにしたら、家財道具を1年に2回、すべて処分しなければならなくなるでしょう。だって、新しい椅子を作らなければなりませんから。そういうことには少しも魅力を感じませんでした。私が作りたかったのはファッショナブルな商品ではなく、機能的な商品でした。

 アノニマスデザインの作品を集めた素晴らしいコレクションをお持ちですね。そうしたものからインスピレーションを得ていますか?

 デザイナーにとって最も大切な器官は目です。私が何かを見るときには、そこに知的なソリューションが含まれているか、私を魅了するような何かがあるかを、すぐに見極めなければなりません。例えば傘ですが、この素晴らしいアイテムは、何千年も前から存在しています。閉じれば小さくなり、必要なときに大きくなります――そしていつも同じ原則に従って機能します。これは、デザイナーにとって無視することのできない事実です。物の持つストーリーを知り、すべてがどのように組み合わさっているかを見れば、学ぶことができます。

ウルム造形大学で勉強した期間に、そのことを学んだのですか?

ウルムでは、いつも実践的な問いを投げかけられ、物事を分析し、学びました。物を各部品に分解し、ひとつでも余分な部品がないか確認したことまであります。その方法は今でもまだ応用しています。私はデザインをする前に、最も重要な部品をイメージします。そうすると気持ちが変化して、たちまち物を違う視点から見るようになり、より細かい部分までが視野にはいってきます。そして突然、ラミーが現れました ― これは私のこれまでの人生で最も美しい仕事です。

 ご自身のアノニマスデザインのコレクションは、ラミー ダイアログ 3をデザインした際にも役に立ちましたか?

それほどでもありませんが、1967年に私はミラノにいて、リナシェンテでトマス・マルドナードと一緒に仕事をしていました。私がミラノに着いたとき、二人で街角の文房具屋に行って、1本の万年筆を買いました――今でもまだ持っていますよ――それは後ろを押すと前からペン先が出てくる万年筆です。

ラミー ピコのときのように、自由な発想が許されたのですか?

いいえ、今回はとても明確なタスクがありました。マンフレート・ラミー博士は、こう言ったのです。「クリヴィオ、私はペン先が引き込み式になっている、キャップのない万年筆を作りたい」。その結果としてできたのがダイアログ3で、これは世界初のキャップレス万年筆で、クリップもボディに沈み込みます。

 ラミーのエンジニアとの協力は、ラミー ピコのときと同じようにラミー ダイアログ 3でも緊密なものでしたか?

私はラミーのエンジニアたちと一緒に仕事をするのが大好きで、協力はとてもうまくいっています。例えば、私の記憶が正しければ、ダイアログ 3にドーム型の蓋を使うよう提案したのは私です。単純に、平らな蓋よりもしっかり閉じられるからです。ダイアログ3のデザインは素晴らしい仕事でした。基本的に、この再デザインは私にとって大成功となりました。最初の一人になることは、なかなかできませんからね。万年筆を発明したのは誰でしょうか? エンジニア? それとも技術者? ビジネスマン? 正解は、ニューヨークの保険外交員です。

仕事にはどのようなタイプのペンを使うのが好きですか?

実に幅広く、さまざまなものを使います。ラミー氏が訪ねてきたとき、私はあちこちで見つけた筆記具を放りこんであった収納箱を取り出しました。あとで、クリヴィオは筆記具で一杯のバケツを何個も持っていると噂されるようになりましたよ。そのようなコレクションからは、常に発見があります。例えば、私はときどき1920年製の万年筆を使います。作られてからもう100年近いですね。

では、万年筆で字を書くのを楽しんでいらっしゃるのですね? 万年筆で絵を描くこともありますか?

はい、描きます。コンピューターで作業はしませんし、万年筆のほうが簡単です。私は現世代の人間ではないのですよ。椅子をデザインしなければならないとしたら、その椅子と同じ大きさの紙が必要です。描画を終えたら、その紙を持ち上げて壁に貼ります。そうすれば椅子が見えてきます。

あなたのコレクションはどのようにして進化してきたのですか?

 私はこれまで常にコレクターでした。1980年にチューリッヒに引っ越したときは、まるでエルドラドに足を踏み入れたかのようでした。スイスには「ブロッケンハウス」と呼ばれるリサイクルショップがあったからです。市のブロッケンハウスのひとつが、私が働いていた学校の近くにありました。同僚たちが休憩時間にコーヒーを飲みに行く間、私はブロッケンハウスに行っていましたね。

あなたにとってコレクションは、発見と所有以上の意味を持っているのですね。

ええ、それは仕事の一部なのです。デザイン学校でよくあるように、私は学生たちに、例えば、「さて次の時間は自主参加です。成績はつけません。興味がある人、その時間を通して洞察を深めることができる人だけに参加を望みます」と言うことがありました。そして残った者に課題を出しました。2フランで買えるものを買ってくるという課題です。最高2フランまで。もしくは、ある特定の場所で何かを見つけてもらいます。そして、その物の何を素晴らしいと思うか、どう機能するか、なぜ作られたのかなどを説明してもらいます。教師の私にとっても、それは難しい課題でした。学生よりもよい物を持っていかなければなりませんからね。私にとって、それは目利きの訓練になりました。

 

インタビュー担当:トマス・ワグナー(Thomas Wagner)

 

バウハウスの100

 「バウハウスとは一つの理念だった。進歩的な教育を行う世界中のあらゆる学校にこれほど大きな影響を与えた理由は、バウハウスが理念だったという事実にあると、私は思っている  ミース・ファン・デル・ローエ

 バウハウスは来年で開校100周年を迎えます。1919年にワイマール共和国で設立されたバウハウスは、1925年にデッサウに移転したあと、1932年には閉校を余儀なくされ、最終的にはベルリンで1933年に国家社会主義者らの圧力によって廃校となり、存続したのはわずか14年間でした。それにもかかわらず、この伝説的なデザイン学校のコンセプトは今もなお影響力を保ち続けており、ラミーもその例外ではありません。

1930年から1933年までバウハウスの校長を務めたルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、「組織やプロパガンダによってこのような共鳴を生み出すことはできない。理念だけが、これほど遠くまで自ら広がる力を持っている」と断言しました。

バウハウスを支え、特徴づけている理念には数多くの側面がありますが、今もなお世界中で伝説的な名声を保ち続けているのは、次の2つのことが大きな要因でしょう。ひとつは、ヨハネス・イッテン、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーなどの全く異なる傑出した芸術的個性を迎え入れたこと、そして、境界を取り払って統合を目指すデザイン理論の革新的なコンセプトを提唱したことです。

1919年のバウハウス宣言で、ヴァルター・グロピウスは「すべての造形活動の最終目標は建築である」とし、芸術と工芸技術の調和を訴えました。この主張はたちまち広がっていきました。生活体験のデザインには、芸術と技術が等しく貢献する必要があります。授業では「自由」美術と「応用」美術(工芸)の間の垣根が取り払われ、両者の交差によって成果が生み出されるとされました。

ただし、芸術家を工芸家にすることには内部でも異論がありました。それでもやはり、バウハウスの方針とは、あらゆるタイプのデザインに社会的責任を認めるものです。つまり芸術とデザインは、バウハウスとともに社会の周辺部から中心へと居場所を変えたのです。バウハウスはモダニストの前衛芸術の実験室であると同時に、近代工業デザインの前触れでもありました。

芸術と技術の融合、筆記具における美しさと機能の融合は、今もなおラミーの核心であり続けています。「バウハウスにたどり着いたのはブラウン社のおかげです」と、マンフレート・ラミー博士は話します。「当時、私はただブラウンの電気機器を持っていただけでしたが、それらの機器に慣れ親しみ、この会社を自然と好きになりました。私にとって、バウハウスは実用的な芸術です。そしてデザインのコンセプトを探していたとき、バウハウスが自然と頭に浮かびました」

 マンフレート・ラミー博士が1963年にデザイナーのゲルト・アルフレッド・ミュラーに会ったとき、自発的な好意が強固なものに変わったと言います。「私たちはすぐに共同事業を決めました。バウハウスの伝統に基づいた万年筆です。まずはブラウン社のシェーバーの黒とメタルのコントラストを取り入れました。ミュラーがデザインしたモデルから最初の生産モデルに至る間に、変更はほとんどありません。私のもとには当時、とても優れたデザインエンジニアがいて、そのエンジニアがたちまちミュラーのモデルの虜になったのです。そのおかげで、デザインの完成から比較的短時間で生産にこぎつけることができました」

実際、ラミー 2000が発売されたのは1966年ですが、今も古さを感じさせないどころか、あらゆる面でモダンです。デザインの基準には、「形態は機能に従う」というバウハウスの理念が忠実に貫かれています。実際のフォルムは使う人に役立つかどうかのみによって決定され、艶消しステンレススチールと、当時全く新しい素材だった硬い樹脂(マクロロン)の組み合わせが、モダンな外見をさらに強調しています。

無駄を削ぎ落としたデザインのラミー 2000は、万年筆の概念を根本から変えました。それと同時に、バウハウスの理念とコンセプトを中心に据えて構築したサクセスストーリーの幕開けでもありました。ラミー 2000からインスピレーションを得たラミーは、その後独自のデザイン哲学を築き上げ、今もなおそれを貫いています。これまでの50年間、マリオ・ベリーニ、フランコ・クリヴィオ、深澤直人、ジャスパー・モリソンなどのデザイナーと協力して製作した筆記具は、それぞれ異なっていても間違いなくラミーのものだとわかります。

 バウハウスでは熟練の工芸家とビジョンを持った創始者が互いを高めあいましたが、ラミーでは経験豊かなエンジアと国際的に著名なデザイナーとがデザインの過程で力を合わせて成功を遂げています。そしてバウハウスで実証されたように、ラミーのスタイルは作る人々と同じように多様化していますが、モダニズムの精神が貫かれることで、それぞれ個性的な商品に魅力的な一体感と共存性が生み出されています――デザイナーのマイケル・ジーガーはこれを、「クラシックな筆記具のモダンな原型」と呼んでいます。

 

文: トマス・ワグナー(Thomas Wagner)

  

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